国土交通省能登復興事務所 輪島市熊野地区の河原田川流域の緊急復旧工事
国土交通省北陸地方整備局能登復興事務所が復旧工事を進めている輪島市熊野地区の河原田川流域において、河川の緊急復旧工事がほぼ完了した。同工事は昨年元旦に生じた山腹崩壊の土砂除去と河川の機能回復、護岸復旧などを目的としたもので、熊野地区の河原田川上流(北東)側と下流(西側)で山腹が斜面崩壊を起こし、それら大量の土砂が河原田川に流入し、河川閉塞などを生じさせ、行き場を失った水が家屋や田畑に向かい、甚大な被害を与えたもの。それらの土砂を除去、さらには河床掘削や護岸復旧などを進めている現場を取材した。(井手迫瑞樹)
輪島市熊野地区の河原田川流域の地震による被害状況(2024年1月4日撮影、能登復興事務所提供、以下注釈なきは同)
現場に自前で生コンプラントを構築して対応、ゴムクローラー式コンクリートミキサー車を活用し、工期を約3カ月程度短縮
本復旧に着手したのは、昨年11月の非出水期から
河川増水時には仮締切を越水する恐れがあるため危険判断について特に留意
同現場は、発災直後1月11日から現場に着手、土砂や流木を撤去しつつ、昨年5月の出水期までに仮水路を設け、河川の流れが通じるようにした。その後、非出水期に本格的な復旧を目指した。9月中旬には大規模な豪雨が能登半島を襲ったが、幸いに同地区においては再損傷もなく、下流側の斜面の一部崩壊と上流の左岸の護岸斜面の小規模な洗堀にとどまった。
本格的に本復旧に着手したのは、昨年11月の非出水期からである。仮復旧では巨岩張と袋詰め玉石で河道を確保したが、本復旧では、大型土嚢とシートで仮締切を行った後、巨岩張と袋詰め玉石をバックホウで撤去することから始めた。次に護岸の構築であるが、護岸は根入れ深さ2m+河床高4mという構造とした。まず根入れ分を掘削し、プレキャストのRC護岸ブロックを積み上げていき、ブロック内に胴込コンクリート、背面には砕石を入れ、護岸を構築していった。護岸は右岸側700m、左岸側600mを構築したが、1つのプレキャストブロックメーカーだけでの供給では追いつかないため、3社のメーカーのプレキャストブロックを採用した。
護岸工構造図
護岸工の施工(下流側)
護岸工事や土砂撤去の際は「河川増水には仮締切を越水する恐れがあるため危険判断について特に留意した。そのため工程面だけでなく安全面に気を付けて施工した」(鹿島)。
現場に自前で生コンプラントを構築して対応
ゴムクローラー式コンクリートミキサー車を活用し、工期を約3カ月程度短縮
さらに生コンについても、受注した鹿島が現場に自前でプラントを構築して対応した。「国土交通省が要求される工期に対応するには、昼夜兼行での施工が必要となる。昼間のみであれば、近場のプラントおよびトラックミキサー(トラミキ)のドライバー対応可能であるが、夜も施工するとなるとコンクリートの供給は難しい。工事の作業効率を上げるためにも、現場に隣接したヤードにプラントを構築し、夜間施工分の生コンを供給(製造能力24m3/h、1パッチ0.5m3)することが最善と考えた」(同社)ということだ。
現場に設置した生コン製造プラント
生コンの現場までの運搬も工夫した。護岸工事のコンクリート打設には、河原田川を渡して供給しなくてはならない。現場までトラミキが渡れる道はなかったため、200t程度のクレーンを建て込んでバケットに生コンを入れて渡す案もあったが、家屋が多数あったため、相番クレーンの運用も含め建て込んで運用することは不可能であった。
そのため、狭小トンネル内での運搬で実績のあるゴムクローラー式コンクリートミキサー車(NETIS番号:KK-230030-A)を活用した。同車は浅い水深であれば、河床内でも進むことができ、さらに最大30°の傾斜でも(今回の現場は最大傾斜20°)登ることができる。生コンの最大積載量は4.5㎥だが、傾斜により積載量は制限されるため、今回は1回あたり4㎥の生コンを繰り返し現場へ運んだ。現地プラントでの製造、同ミキサー車の活用により、本現場での工期を約3か月程度短縮できたということである。
ゴムクローラー式コンクリートミキサー車(NETIS番号:KK-230030-A)を活用した。同車は浅い水深であれば、河床内でも進むことができ、さらに最大30°の傾斜でも(今回の現場は最大傾斜20°)登ることができる
護岸工の施工(上流側)
現在は護岸ブロックの施工を完了し、天端仕上げも含めた復旧工事は完了している。しかし、上下流とも崩落土砂は完全撤去されておらず、とりあえずは、土砂撤去と整形により安定勾配を作り出し、仮抑え工で対応している状況である。本復旧については現在設計中であるが、PCアンカーや法枠工などを検討している。
上流側両岸での天端仕上げ実施状況
ロッククライミングバックホウなどを用いて土砂撤去と整形により安定勾配を作り出している
同現場の元請は鹿島建設。一次下請は土工事が丸磯建設(東京)、クレーン工が米原商事(富山県)、護岸工が高崎建設(福井県)、白石鉄建工業(愛媛県)、ヒロシ(島根県)、新和組(新潟県)、AKIRA建工(新潟県)で「本工事のために全国から集めた」(鹿島建設)。最盛期には元請13人、下請100人の体制で工事を行っていた。