新しい時代のインフラ・マネジメント考

新しい時代のインフラ・マネジメント考
2024.04.22

①2024年正月の大地震における富山市の対応

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新しい時代のインフラ・マネジメント考
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4.立場と対応 

 「国土強靭化」と言われて久しいがどれだけ進んでいるのか?我が国の国土は非情にリスキーである。いたるところに活断層が走っており、今回の地震もそうであるが「未知の活断層」などと言う物も多々ある。地震時には地震動の方にばかり目が行くが液状化の被害も大きい。しかも厄介である。

 「緊急輸送路」の確保と言うことも重要な課題であることは、以前から言われているが、今回はそれが、「切れた。」と言われているが、できていなかったと言ってよい。この緊急輸送路の話は、以前から疑問に思っている。本当にその路線がそうなのか?先の東日本大震災の時は、「櫛の歯作戦」と言うことが功を奏したということで、称賛されていたが、今回はそれができない状況であった。能登半島と言う地理的地形的状況が復旧の足かせになっている。実はインフラの老朽化問題でも全国一律にできるわけではない。地理的地形的条件はもちろん、住民の人間性や地域性、行政の特質等が大きく関わる。またいつもだが、政治的問題も大きく影響する。

 今回、地震発生後当初に、いろんな方から、現地に行きたいという話ももらったが、私の中途半端な立場では、行くわけにはにはいかない。まず、現役を退いた身なので身分の保証も保険すらない。そんな状況で行けるわけはないし、富山市の政策参与と言う立場上、富山市を放って行くわけにもいかない。その辺を考えてほしいものである。だからあえて能登には行っていない。まあ、ボランティアで行っている方々は素晴らしい。

 さらには、実は私は、阪神大震災時に被ったトラウマがよみがえり本当にこういう災害対応が嫌であった。地震直後に現地を見たいという気持ちはわかる。しかし、何のために行くのか? 何のために会議をするのか? 当事者でないからできることである。まずは被災者の安全と生活の復旧だろう。こういうとおそらくそのためにというだろうが、初動には人員と重機を備えていかなければ意味がない。東京に居て、都合よく情報を仕入れ、机上論で物事を言われても困るのは当事者達である。

 富山市の職員たちにしても、寒い中良く対応していた。彼らの体力も精神的なものも考慮しないといけない。能登の人たちはもっとであろう。自分の家や、家族そして親族、友人、自分自身が被災しているのである。なので、広域連携などもなかなか難しく機能しない。災害協定も同様である。業者さんだって被災しているのである。

富山市の対応例
モニタリングシステムで通常時も監視していた


 私の自宅は、東日本大震災時に、震度6強に見舞われた。たまたま出張から、帰宅した直後であった。当時は干されていた時代で、暇であったのだが、たまたま出張が入っていたということでもある。何とか家も家族も無事であった。揺れが始まりすぐに、いつもの地震とは違うのは感覚的に感じた。猫を抱き外に出た。このいつもと違うという感覚は、不思議と感じた。これまでとは全く違うなにか、異様な感じに見舞われた。表に出ると電線がシャンシャンと、揺れて電線どおしが当たり、音が発生していたのは忘れない。家を見ると大きく、左右に、しなっていた。「もう駄目か!倒壊する!」と思ったが何とかたえてくれた。揺れが収まると、家の中は食器や酒の瓶が割れていて、足の踏み場が無かった。とりあえず寝れる場所は確保したが余震の不安はあった。翌朝、隣の家を見ると、軒が落ちていた。墓は墓石が倒壊はしていなかったが大きくずれていた。庭の灯篭は倒壊した。この国は、非常に弱い国なのであるということを肝に銘じなければならない。

 ここで、今回も強く感じ是非言っておきたいのは、こういった異常時(老朽化も異常時)に、それぞれの立場があり考え方も違う。今回強く思ったが、この国のでは、やる気が有る人たちが頑張ってくれるのだが、どうもずれている。「しくみ」と「行動」「技術」「機動力」「道具」といろいろあるが、皆一時にやろうとする。インフラメンテナンスも同様である。おかしい。考え方がずれている。物事には順番があり、対応にも順番が有る。そして役割がある。無駄なことをしているのである。気持ちがせいても、待つことも様子を見ることも重要なのだ。間合いを取ることも、戦いには必要なのだ。

 こういった時に現場でも感じたのが、
 ① 発災直後には瞬時に判断決断できるマネジャ-の存在の重要性
 構造物などの状況から使用の可否、補修補強の必要性などを瞬時に判断できれば、職員の負担は軽減でき
る。
 ② トリアージの重要性
 災害時になると改めて、復旧の順番なども含め、トリアージは重要である。10年前に提唱したが、その正当性を改めて自認した。
 ③ 通常時からのモニタリングの重要性
 不安な構造物に関しては特にモニタリングシステムを活用することにより被災状況が確認できる。
 ④ リスクマネジメント
 常時、災害時のリスクマネジメントは常日頃考えておくことが重要である。
 ⑤ 包括管理の必要性
 災害時にも包括管理の仕組みができていれば職員の負担は軽減できる。

 その人の立場によって対応も考え方も違ってくるのは当たり前である。それぞれの立場、で適切な対応をすればよい。ただ現役の方々はそういうわけにはいかない方々もいる。この立場と言う問題、よくよく考えないと判断を誤り邪魔になることもある。私のように現役でない者は依頼されればできることをやるだけ。無責任に感じるかもしれないが、一生懸命対応している現場の邪魔だけはしたくない。

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5.まとめ

 非常時にこそ、その国の力が、試される。地震発生し3カ月半だが、なかなか進まない。水道の復旧すらままならない。海外メディアが、「日本では(地震の)避難民は、難民よりもひどい。」と言ったそうであるが、脆弱な国土に住んでいるのは、宿命である。ここで、より文化的に安全安心な暮らしをしていくためには、対策が必要である。それには、お金がかかる。ここを忘れてしまっている。日本にはシェルターがほとんどない。こういう国も珍しい。先進国ではないのだ。それに国民が気づかないのもおかしい。誰か声の大きい人たちにごまかされている。「国土強靭化」とは言うが、何のためなのか? 目的がずれている。

 ・・・と思っていたら、4月3日朝、台湾で起きた地震では、かなりのスピードで対応が進んでいるニュースが流れている。能登と何が違うのか? 考えなければならない。日本人は耐えることが美徳とされてきた、しかし、本来は違うと思う。緊急対応は早く行わなければならない。何が足りないのか? 何をやるべきなのか? 決断する人間が必要である。決断をするには責任が伴う。それが嫌だから決断が遅れる。決断は遅く責任は取らない。なので、結果的に対応も遅れ国民に苦労を強いる。それでも国民はよく耐えている。

 我が国では、今もだが、構造物を設計するときに、コスト重視主義である。イニシャルコストが安ければよいという思想が蔓延してしまっている。比較設計においても、イニシャルコストの評価で決まってしまう場合が多い。もうそういう時代ではないだろう。そこで出てくるのが「景観」「デザイン」であるがそれはそれで、条件によっては重要な項目である。昔はこれすらも無視された。しかし、本質は、「安全性」「耐久性」「維持管理性」「耐久性」など別の視点の方が重要である。この辺の“議論”を我々専門家は本来しなければならない。

 毎年依頼されている、JICAの研修で、東南アジアの国々の官僚の方たちから言われた。「日本の橋は50年でダメになるが、欧米の橋は100年もつ」と。これが物語っている。私は勝手に「ゼロ戦とグラマンの設計思想の違い」(※編注:前者は機動性重視で装甲は薄い、後者は装甲が厚く帰還率が高く、よって熟練者が増え、さらに後方教育が進めやすく人材が育てやすくなった)と言っている。いつまでも何十年たっても直せない。社会に出た時にすでにこれからは維持管理の時代だと言われていたはずであるあれから40年。耐震設計に関しては経験工学なので、より大きな地震額れば壊れるのは当たり前。耐震基準よりも小さな地震であることを祈るのみだが、ここでは設計ミス、施工ミス、手抜きなどにより、経験済みの地震力に耐えられないものも出てくる。

 その方々の立場立場でやるべきことは違うはずである。なんか今回の能登地震の対応を見ていると、焦りを感じる。焦ってもどうにもならない。それよりも、緊急初動は人員を十分に投入し、迅速に行い、十分な戦略を練り、適切な時期に対処することが重要である。目立ちたがり、やった感を出しても、それは自己満足だけである。今回の地震では、航空機による写真や衛星解析などが画期的だったと感じるが、意外と、ドローンが使われていないように思えるが電波の関係だろうか?実際には使われていたのか?通信の脆弱性も問題である。これは2000年に韓国に行っていて感じていた。韓国では当時どこに居ても電波が通じた。しかし日本は未だである。インフラのPPP/PFIもいまだである。
 結局は、いまだに大本営発表的な考え方伝え方がおこっていて、道を誤っているような気がしてならないのは私だけだろうか? 皆さんマニュアルを重視したがるが非常時にマニュアルは通用しない。まあ、これも「マニュアルがあったほうが良い。」と多くの方に言われそうであるが、マニュアルでなくて自分で考えるべきである。(次回は5月16日に掲載予定です。)

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