新しい時代のインフラ・マネジメント考
1.はじめに
かなり暑い日々が続いている。私のようなデブはかなりつらい。今月は暇になるように予定を操作した。ここが個人事業主の良いところではある。
うれしいことがあった。私の母校、栃木県立石橋高校が夏の甲子園に栃木代表として行く。私が居たころの野球部は、ぱっとしなかったが、素晴らしい。創部以来89年振りの初出場、うれしいものである。学校は、ちょうど今年で、創立100年になった。のんびりとした校風で結構自由、栃木県立では珍しい男女共学であった。これと言って、パッとしたものはないが、「文武両道」をもっとうとしている。私のように、特別優秀でもなく、まあ普通である。教育学部へ進む者が多い。我が一族は、ある事情から石橋高校卒が多い。考えてみれば、ここでも“橋”が絡んでいる。
先月はマネジメントの考え方のようなことを書いた。今月は最近、インフラメンテナンスで疑問に思っていることを書く。あくまで個人の意見なので反対する方はそれで結構。
2.点検要領の改訂、調書は
インフラメンテナンスにおいて近接目視点検を行う行為は、はじめの一歩である。これで3巡目となり、現在は点検実施と補修作業が随時行われている。本年3月に「道路橋点検要領の改訂」が行われ、世の中が混乱しているという話を聞く。
しかし、私が見る限りさほど大きな変化はない。以前にもここに書いたが、当たり前のことを伝えようとしているだけである。調書の記述方が変わって面喰っているという話も聞くが、これも同様である。確かに記述内容は増えた。しかし、インフラ・マネジメントの本質を抑えられていれば、特に騒ぐほどのことでは無く当たり前のことである。騒ぐほどのことではない。やはり、点検の本質がわかっていないのではないだろうか? 「点検」「点検」と構えるから良くなくて、インフラ・マネジメントの1項目だと思えばよい。この作業の後に、まだまだやるべきことはある。設計で言うと設計条件を整えたくらいの物だろう。
なんのための点検か? 何のための調書なのか? と言うことをきちんと理解していれば問題は無い。様々な事情はあろうが、点検を単なる1業務ととらえているか? インフラ・マネジメントの一連の第一段階ととらえるかである。あとは、自分の異動した後も、後任に伝えていくことである。これさえ理解していれば問題は無い。しかし、コンサルにやらせっぱなしで、何も考えないで、受け取っていると何も伝わらない。コンサル側では、調書に記載するのが面倒だな! と、省略してしまい、意味がなくなってしまう。他の自治体の長所も見せてもらうと、結構ここが抜けている。ここをきちんと書けるかどうか?問題である。これができなければ、次に伝えることもままならない。同じことをずっと繰り返すだけである。
この調書の「診断の前提」と「特記事項」が、ここをいかに詳しく伝達事項を含めて書けるか? が重要である。ここを書くために、「診断協議」と言うのをコンサルと、診断担当職員と工事担当職員が出て行っている。疑問点などもここで協議し、調書に記載事項も決定している。損傷の激しい者や診断が困難物は私も参加している。ここまでやって初めて、“診断”である。場合によれば、詳細調査や緊急補修なども出てくるが、うわべだけの点検をやっていても無駄である。
心ある管理者は、目的を理解し、調書以外の調書も作っているはずである。残す必要のある事項を残すこれが重要である。これが理解できなければ、維持管理の問題は解決しない。かつて(今も)、「標準設計」を馬鹿にしてきたコンサルさんや発注者さん方は、どう考えるかであるが、本来は各所の状況に合わせた、創意工夫が必要なのである。国で示されたマニュアル(要領・手引き)をそのまま使うのではなく、自分たちに合うようにカスタマイズする工夫が必要なのだ。あくまで国が示すものは、全国一律の標準的なものである。地方の状況に合わせるほうが大変である。これは運用する側の創意工夫が問題なのである。本来は依頼されたコンサルもそういった点を工夫して提案することも技術力であるが、今の世の中、そうはなっていない。
点検の意味や目的をしっかり理解できていないから、調書の書き方などに問題が出てしまうのである。まだまだ不足の部分はあるが、それはそれとして運用でカバーすればよいことである。こういったマニュアルが出るといつも大騒ぎになるが、自分たちが中身を理解し、やるべきことをはっきり自覚できていれば、運用法でカバーできる。何のマニュアルでも同じである。しかし、そこが理解できない人たち、こそが、マニュアルを作りたがる。マニュアルに頼ろうとするが、痒い所に手が届く様なマニュアルを作ることは困難である。
基準やマニュアルはルールや考え方を示したものである。場合によれば、十分にそれを理解したうえで運用で解決する方法もあるのだが、そこには技術力が要る。いくらマニュアルを作っても運用ができなければ意味はない。点検・診断における、“間違え“”見る目の無さ“を添付写真に示す。一例である。
伸縮装置も軽視している。これが、健全?
支承は見逃しが多い。 これが、健全?老朽化によるボルト破断?
これが、断面欠損?
穴が開いているのぐらいわかるでしょう?
3.点検の目的は?そしてその先の目的は?
皆さん何のために点検をしているのか? その目的は何か? 考えていますか?
点検は一つの作業工程に過ぎない。これだけやれば維持管理ができるかと言うと、大間違いだと言うことを理解できないと事故を起こす。点検を実施したから、大丈夫なのでは無い。点検しても見逃していれば何にもならない。あまり報告されていないが、実際に現場で見ていると点検の見逃しと言うのは結構ある。さらに間違った点検結果と言うのも多い。
構造物などの維持管理の基本的な考え方で点検が重要なのは、もっともであるがそれで終わりではない。点検を行って、満足し、やったつもりになっているのは大きな間違いである。点検調書で苦労する原因は何か? それは実際の構造物を知らないからである。構造物を知らない者が点検しても良い結果は出ない。前述したように、点検結果を見て実際の現場と比べると、点検ミスが多い。ミスなのか見落としなのか意図して手を抜いているのか? 管理者が確認しないと思ったら大間違いである。結構大手のコンサルでもそういう状況がある。馬鹿にしているのか? 自分たちがわかっていないのか? 現在は未だ点検業務で大きなミスが会計検査では挙げられていない。これも時間の問題だろう。なぜか、この結果が維持管理としては大きなコスト増につながっていくからである。
インフラ・マネジメントと言う題目で議論すると、結局点検の話で終わってしまう。おかしな話だ。インフラ・マネジメントは、インフラの生涯にわたり議論すべき問題である。個のマネジメントに関しても難しいことは私もわからないが、直感的に実務としてとらえている。どうすれば最良の結果になるのか? を考えればよいだけである。よく話題に出るLCCの話があるが、従来の考え方のままでよいのだろうか? 構造物の廃棄までを考えるのが本来のLCCなのではないだろうか? しかし現在はそういう議論はない。構造物を作って、運用し維持管理して、撤去、廃棄するまでのすべてのコストを出さなければならないのでは無いだろうか? もちろん推定値になる。しかし現在は中途半端である。
点検の目的は、事実を確認し後工程に正確に流すことである。この作業自体は大したことはない。現場での労力はかなり必要であるが、事実確認である。そして、次の工程の診断に結び付ける。この診断と言う行為は、判断が伴うので、官側が行うべきである。なぜか? 責任が伴うからである。これを理解できれば帳票で騒ぐことはない。自分たちが必要なように記述すればよいだけである。
点検要領の中に次のような記述がある。
道路橋は、様々な地盤条件、交通及びその他周辺条件におかれること、変状が道路橋の性能に与える影響、第三者被害を生じさせる恐れなどは橋の構造や材料あるいは立地条件によっても異なってくる。さらに各道路橋に対する措置の必要性や講ずるべき措置内容は、道路ネットワークにおける当該橋の位置づけや当該橋の劣化特性など耐久性に関わる事項などによっても異なってくる。
そのため、定期点検では、最終的に当該道路橋に対する措置等の取り扱いの方針を踏まえて、告示に定義が示される「健全性の診断の区分」を決定することとなるが、その決定にあたっては、次回の定期点検までの期間に想定される道路橋の状態及び道路橋を取り巻く状況なども勘案するとともに、道路橋の状態の把握やそれらを考慮した点検時点での性能の見立てなども行って、これらを総合的に評価した上での判断を行うことが必要となる。
このようなことから、状態の把握やその他様々な情報を考慮した性能の見立てや今後の予測、健全性の診断の区分の決定及び将来の為に残すべき記録の作成などの法定点検の品質を左右する行為については、それらが適切に行えるために必要と考えられる知識と技能を有する者によらなければならない。
たとえば、以下のいずれかの要件に該当する者であるかどうかは、必要な知識と技能を有するかどうかの評価の観点として重要である。
・道路橋に関する相応の資格または相当の実務経験を有する
・道路橋の設計、施工、管理に関する相当の専門知識を有する
・道路橋の定期点検に関する相当の技術と実務経験を有する
なお、法定点検の一環として行われる、状態の把握や性能の見立てあるいは将来の予測の技術的水準については、必要な知識と技能を有する者が近接目視を基本として得られる情報を元に、概略評価できる程度が最低限度と解釈され、構造解析を行ったり、精緻な測量、あるいは高度な検査技術による状態等の厳密な把握を行ったりすることまでは必ずしも求められているわけではない。
以上のように、法定点検の一環として行われる状態の把握の程度など、最終的に健全性の診断の区分を決定するにあたって必要な情報をどのような手段でどこまでの技術水準で行うのかについては、道路管理者の判断による必要がある。
と明確に記述されているが果たして実際に点検に当たっている者は、これに見合う技術力を有しているのか? もし、そうでなければ「要領違反」である。場合によれば会計検査で挙げられる。発注者はこれを理解しているのか? 受注者も理解しているか?やればよいというものでは無い。
ただ診ればよいと言うのであれば、それ相応の、経費で実施すべきである。ただでさえ安いと言われる点検業務であるが、もっと下げるしかない。まずはここで躓いている。たかが点検だが重要である。視る目を持たないものが診ても、なにもならない。ドローンやロボット点検についても同様で、わかっているものが使えば有効だがそうでない者がやっても意味はない。最近はやりの「新技術を使った」という自己満足でしかない。
この辺で先の目的についても書くと、「安全・安心な構造物を市民に提供し管理していくことである。」あまりこれまで語ってこなかったが富山市の究極な目的は「1橋たりと落橋させない」と言うことを、10年前に市長、副市長と決めている。そのための維持管理である。当たり前のようだが、意外と大変である。さらには、「全数管理は無理なので、選択集中した管理に移行する。」と言うことを決めている。