コンクリート打設は失敗から学ぶ
はじめに 働き方改革~挑戦は尊いが、誰かが無理をしていないか?~
最近、現場を見て回って、官工事において土曜日の稼働が急激に少なくなったと感じておりますが、知人に聞いたところ、平日でさえ定時に帰る事が多くなったということでしたのでとても驚きました。少なくとも数年くらい前まで、現場で残業しているのは普通で、事務所へ帰ってきたら真っ暗なことも少なくなかったのではないでしょうか。それから書類等をするとなれば夜遅くなるのが当たり前の状況に追い込まれることもあったと思います。今まで、ほとんどの職種で人手不足だったと思うのですが、働き方改革など様々な改正や施行がなされてここまで激変してしまうのですから、やはり国の政策による影響の大きさは凄いとしか言いようがありません。全国で一斉に現場を変える試みはとても大変だったと思いますし、いまもその苦労は続いているかと想像しております。
こうした取組みで分かることも多いと思いますので、良い悪いは別として行動することで得られた知見が今後に生かされたならと願っております。ここで、注目していますのは、いままで圧倒的人手不足で困っていたはずですので、どのタイミングでどのような対応をしていくのかということです。私の想像ですが、見えないところで誰かが無理をしているのではないか、無理をしていないとしたら手が足りていないところで悪い事が起きるのではないか、漠然とそのように感じておりますが良い変革は継続して欲しいと思います。
ここで挑戦することについて個人的な意見をさせていただきたいと思います。挑戦する人や組織には、何かしら現状を打破すべく善なる動機や思惑があって挑戦すると思います。ですから当事者には成功イメージ、もしくは到達点や目標設定がなされているはずです。人はそうしたイメージや目標ができた時、例えそれが当事者の実力に見合わないとしても、どのような不足があるか認識できたならそれを埋めるような努力と創意工夫が始まります。そこで失敗したとしても、考えた条件や仮説を修正して再挑戦する、そうした事を繰り返すことで成功に近づいていくことは間違いありませんので、挑戦することは結果の如何を問わずその行為自体が尊いものだと思いますし、それは評価されるべきだと思います。国だから失敗は許されない等という人がいますが、挑戦しない国など凋落しかないことは歴史が証明していますので、例え我が国の現状が世界一だとしても挑戦を続けていただきたいと個人的に思っております。
我が国の先人達は偉業と言える様々な大事業を成し遂げてきました。それは挑戦と失敗の連続だったと想像するのですが、現代においても世界最先端の新幹線であったり、青函トンネル、本州四国連絡橋等々、数え切れないほど世界に誇る土木構造物が多く残されております。私たちは長年その偉業によって栄え続けてきましたが、遺産が膨大すぎて更新したくてもできないものが多く存在しており、維持か更新かを判断することすらとても難しく、今後大きな課題であると思います。そこで診断・補修を容易とするためにも、新設時、資金を集中し、コンクリートの品質を向上させることが先人達からバトンを受けた私たちの使命でもあると思いますので、今後も拘って挑戦し、先輩方が見知らぬ私たちにしてきたように私も微力を尽くしたいと思います。
北海道北部、東部などのコンクリート現場を歩く
ここで話しを変えますが、私は年中コンクリートの観察をしております。自分が関わった事案の経年観察に加え、全国のコンクリートの状況を見て回っており、今年は中部・関西・中国・九州に加え、北海道南部を除く地域の一部を確認してきました。全国をほぼ自動車専用道路を使わず下道で調査して回っていますが、主要な地域で通過すらしたことがないのはおそらく関東と和歌山・沖縄だけとなりました。可能であれば全県行ってみたいと思うところですが、挙げました全てが車で行くにはかなりの距離、時間が限られますので渋滞を避けたい思惑などあって都心は避けており、行く機会があっても躊躇しているところです。
ここで最近調査した北海道のコンクリートについて紹介したいと思います。
まず紹介するのは北海道北部で日本海に面する防波堤、近くの気象台データから過去の最低気温はマイナス 16℃くらいでした。(写真1-1、写真1-2)は同じ場所を起点側と終点側から撮影しております。(写真1-1)は全景が写っておりますが、1 ロットだけ極端に凍害で損傷しており、ほとんどのロットは(写真1-3)のような損傷が小さい状況でした。
(写真1-1)損傷が大きい箇所(起点側から撮影) / (写真1-2)損傷が大きい箇所(終点側から撮影)(著者撮影、以下同)
(写真1-3)損傷が小さい箇所(ほとんどのロット)
こうした損傷の酷い箇所が飛び地で見られますが、この現場で推測できることとして、場所も条件もほとんど同じであるのに凍害が大きいのは、締固めが不足してルーズな状態であり、その空隙に海水が浸入したあと凍結と融解を繰り返して凍害を受けたものと推測しました。 ここでは全体的に(写真1-4)で示すように天端付近において横割れが生じておりましたが、こうした隙間に水が浸入するであろう箇所の凍害はほとんどありませんでした。経験上、寒冷地において打重ね線や横割れに水が浸入しますと凍結融解を繰り返し、凍害がみられる可能性が高まるのですが、ここでは強烈な風で打ち上げられる海水でコンクリートの温度が下がりにくくなって、凍害から防いでいるのかも知れないと考えましたが、真冬に観察しなければ今のところは言えることも根拠が弱いと思う事から調査継続したいと思います。
(写真1-4)天端付近において横割れが生じていた
オホーツク海沿岸の漁港コンクリート
場所を移して紹介しますのは、同じ北海道北部でオホーツク海に面する漁港のコンクリート、近くの気象台データから調べた過去の最低気温はマイナス 20℃くらいでした。(写真2-1、写真2-2、写真2-3)は同じ場所と条件といって良いと思いますが、損傷のレベルは全く違います。
(写真2-1)一部で損傷が大きい(起点側から撮影) / (写真2-2)ロット別で損傷が大きく違う
(写真2-3)損傷が小さい箇所
原因は先に述べたものに加え天端仕上げが悪くルーズになっていることが起因していると思います。
生コン打込みで土工さんが型枠に打込むと左官がでばってくると土工は締固め途中であっても左官へ明け渡す傾向が強いです。土工からしたら左官が同じ場所に加われば高さ合わせの妨げとなりますし、加えてそれを理由に締固めを省略できるので一石二鳥となることからコンクリートはルーズな状態で固化したと思われます。これに加えて、天端仕上げにおいて予期せぬ雨であったり、コンクリートが軟らかすぎたり、低気温であることから天端の水気が引かない等あって、不本意な仕上げとなったこともあったかも知れません。
北海道北部・東部の境目のコンクリート
3 つめの現場は北海道北部・東部の境目であり、気温が極端に下がることで有名な場所で、マイナス 40℃を下回った記録がある地域周辺となります。 ここで不自然なのは同じ場所の擁壁でおそらく同じ施工者であるはずのコンクリート、左ロット(写真3-1)は横方向に除雪の際に排土板が接したような跡が確認できる程度、対して右ロット(写真3-2)は全体的に表面モルタル部分が剥がれており天端においては不自然に丸くなっていることです。
(写真3-1)左右のロットで損傷レベルが違う / (写真3-2)擁壁の右のロットは極端に凍害を受けている
この駆体は山間部国道に設置されておりますが、道路勾配が急で擁壁天端も道路と同じ程度の勾配がついております。天端勾配を有する構造物で生コンを打込むと、締め固めた時にコンクリートが重力方向(下流)へ流れてしまいます。対策として低スランプで打込めばコンクリートが流れにくいので十分な締固めが可能ですが、スランプ 8cm 程度以上の軟らかいコンクリートですと締固めると液状化して流れてしまいます。その結果、締め固めをしない現場が圧倒的に多いように思いますが皆さん心あたりはないでしょうか。
当時の状況を想像しますと、凍害をあまり受けていない左側ロットは暖かい時期に施工した結果、スランプロスによって意図せずして締め固めても流れる量が小さくなった、それに対して右側ロットの施工時期は気温が低くスランプロスが小さく流動性が高いままであったとしたら、締め固めたときにコンクリートが流れて締固めを遠慮したものだろうと考えられます。ここで前提条件として両ロットの気温が同じであったとしますと、左のロットは手を多く入れて丁寧な施工がなされ、対して右のロットは人手が足りずに締め固めと天端押さえが疎かになった等が推測されます。おそらくそうした両方の理由が絡み合い、加えて昔は加水またはアジテータ車の洗い水がそのままでスランプの乱高下もあったかも知れません。いずれにせよ施工者が適切に対応できていれば凍害は受けなかったか、もしくは左右の凍害差は小さいものになっていたと思われます。
上記のように、コンクリートでルーズになる条件を述べてまいりましたが、そうした部位は天端であったり、高スランプを適切に施工できなかったりした部分など様々ですが、それを集約したような凍害を次に紹介します。