新しい時代のインフラ・マネジメント考
⑲群マネが認められだした

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人 国際建造物保全技術協会 理事長
植野 芳彦氏
1. はじめに
おそくなりましたが、あけましておめでとうございます。
ある方と話していて、「最近の人たち勉強していないね、「群マネ」の手引き読んだか聞くと読んでいない。インフラに対する先進地は? と聞くとわからない。と言いつつ、調べようともしない。老朽化で困っている、点検が大変だ、人がいない、金がない、と言う。どうなってるんだ?」とのこと。それはですね、社会に出てからの、実務経験が足りないんですよ。さらに、考える力を育てないと、いつまでたっても、○○が足りない、できないで、無い無いねだりで終わってしまう。今困っていることを真剣に考えれば解決法を見つけなければならないはずだが、それもしない。
2.考え方
昨年の八潮の事故後の風潮として、これまでの老朽化対策、インフラ・メンテナンスが「インフラ・マネジメント」と言われるようになってきた。これは私は10年前から言っている。やっと、」理解されたかと思うのである。そして、「長寿命化」「予防保全」という言葉をあまり聞かなくなったが、結局は土木の世界においてマネジメント志向が欠けていたのである。
この「マネジメント論」であるが、皆さんいろいろ難しいことを言う方々は居る。しかし、私としてはマネジメントは、実践してなんぼである。机上の空論はいらない。というか無駄である。どんなに正しそうなことを難しく論理的に言っても、実践できなければ意味はない。価値はない。
どうも日本においてはマネジメント志向が遅れているようだ。本来プロジェクトを実行するにはマネジメント志向が重要となる。これができていないように感じる。これは、特に本来必要なはずの土木の分野において顕著であるように感じる。

事業が行われる時に、役割分担を細分化しすぎてしまっていて、それに自分たちが気づいていない。ここに来てやっと「群マネ」の思考が出てきたが本来はそうあるべきだった。普通の思考ならば、すでに高度成長期に実施されたはずである。何らかの力が働いたのか、平等に発注すると言う過度な公平性志向のせいかもしれない。
未だに、官庁から発注される業務は単発で、プロジェクト性がない物が多いことにお気づきだろうか?これでは民間事業者も、マネジメント思考はなくなってしまう。だから、LCCと言いながらも、本当のライフサイクルコストの算定が十分でなくそのため、現在のメンテナンスが遅れていると考えている。しかし、いつまでも、メンテナンスと言っているようでは適切な管理、将来へ渡っての長期的な管理もおぼつかない。ましては現在の状況は点検さえすればよいと思っている者が多い。
こんなことではマネジメントはできない。いっぽうで、マネジメントを難しく語られる人々がいる。学問的には正しい考え方なのだろうが、実践者向きではない。ここで、役割分担があることを考えなければいけない。学問的道筋を示していただけるのは非常にありがたい。しかし、実践者にとっては、思考的には正しくとも実行できなければ無意味である。学術の世界と実践の世界の違いがある。
私の今の悩みは、現在、ある協会の理事長を2件任されてはいるが、どうもみなさん、こういった協会を作ると、「学術協会」にあこがれるようである。「研究・研究」と言い出す。しかし私の考えは、実行し世の中の役に立つことが重要だと考えている。実績を示し、多くの方々に使ってもらうことの方が、重要である。学術団体は土木学会などの学会にお任せすればよく、民間の団体が土木学会の権威に勝てるはずはない。考え方がどうも、納得できないが。世の中の多くの団体もどうも見ているとそうである。そもそもがこの協会も最初は実務団体を目指していたはずである。
世の中には役割分担がある。逆にそうしないと皆で同じことをしてしまい、効率が良くない。うまく回らない。これもマネジメントである。
3.インフラ・マネジメントとは
インフラ・マネジメントを行う上で、私が感じているのは、この国ではこれまであまりマネジメントというものを意識してこなかったと言うことである。妙に細かいことにこだわり、重箱の隅をつつくような議論はするくせに、大局的なマネジメントという思考がされてこなかった。だから脆弱な構造物を大量に作り苦労しているわけである。いやいや本当の苦労はこれからである。
マネジメントはなぜ必要かというと、本質を見て、リスクを見極め、先見性を持って対処することである。これまで長年、建設の世界に身を置いてきたが、いつも議論は変な方向へ行く。あまりはっきりは言いたくはないが、だから戦争に負けたのである。負けただけではなくだいぶ苦労して負けている。まずは、物資不足である。こういうことを言うと嫌がる方も多いと思うが、先進国では、ボルトの1本、銃弾の1発も標準化して合理化していた。日本では違っていた。戦略的にも、非常に不合理である。戦術の議論を重視し、戦略をおろそかにしている。つまり、目的を見失っている。
戦略的に生産性を上げる第一歩は、様々な分析から出てくる標準化である。標準化、省力化というのが生産性を上げる1歩である。これがすべて正しいと言うのではない。そういう考え方も加味しながら、マネジメントをすべきだと言うことである。標準化というのは実は、データ分析と適正化の手法である。これが理解できるだろうか?できなければマネジメントは無理である。単純に「標準設計は使い物にならない」言っている方々が多いが、それは、あなた方が標準化という思考の考え方、手法としての標準化というものが理解できていないだけである。
現在多くの方々がデータ、データと言っているが、目先のデータだけ見ていると失敗するし、持続可能性はない。本来のマネジメントとは多くの手法の中に成り立っているもので、それをどう使ってやっていくかだけである。
こう書くと、学術的な方々から反論が来そうであるが、我々は実務家であることを忘れてはいけない。マネジメントは動かさなければ意味がない。事業計画から、様々な思考と施策を重ね判断をしていくものである。成功するとは限らない。失敗したら失敗しそうであれば、是正し軌道修正すればよい。1つにこだわってしまうのも悪い点で、多くの手法や施策を同時に実施してこそ成果が出る。


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