コンクリート打設は失敗から学ぶ
はじめに ~成果は環境や教える側の動機付け等で決まる~
さて、前回の自己紹介において勉強を疎かにしていた事は述べましたが、一部ですが大好きな授業等ありましたので、そうした事を中心に雑談方式でお話したいと思います。
学生時代のこと、哲学の先生から国家観について情熱的で示唆に富む講義をしていただきました。この先生、講義初日に今後の大まかな流れとテスト内容を事前予告するというスタイルで、テストは先生が取り上げた哲学者一人を任意で選択、その詳細を小論文のように記載するというものでした。先生から「私は多くの哲学者で最もソクラテスを尊敬しているので講義時間はソクラテスが一番長くなり採点も甘くなる。テスト結果は希望者の中で100点の生徒に限り教える。」という予告がなされました。ここで私は先生の思惑にはまり、テストで100点を取る事を決めておりました。
先生の予告通り、ギリシャアテナイにおけるソクラテスとソフィスト達の講義はとても情熱的な講義となり夢中となりました。ソクラテスの生い立ちや「無知の知」という名言、無実の罪で投獄されたソクラテスの裁判から死に至るまでの弟子達とのやり取りは大きな感動を覚えた事を記憶しております。哲学全ての授業を終えた後、テスト準備として受講で記したノートを見ながら答案作りの練習をした時のことです。講義は集中しておりましたので、全て記録していると思い込んでいたところ重要な1単語が抜けている事に気付きました。
聞く事に集中しすぎて手が動いていなかった為ですが、講義内容をかなり憶えていましたので用語の記入漏れがある事は初見で気付きました。ここで100点を取るには不足ですので、その他の哲学者から選択しなくてはならなくなりました、どの講義も真面目に受講しましたが、テストでソクラテスの偉業を小論文にすると決めていたので100点を取るだけの材料が記録されていないように感じました。残された哲学者の中で、最も詳細に記したヘーゲルの弁証法について、これも1箇所記録がなされていませんでしたが、書き忘れていた用語その意味は正確に記憶していましたので、別の言い回しをすれば正しく伝わるであろう事からチャレンジしたところ、結果は100点となり先生に「とても良い回答だった、素晴らしい」とお褒めいただき、勉強嫌いの私にとって初めての満点獲得となり大きな成功体験となりました。
ここで申し上げたいのは、私が100点をもぎ取った事が凄いということではなく、それを取らせた先生が素晴らしいという事なのです。私は個人の努力が前提としてあるものの、名門大学で首席になるのも、スポーツにおいて全国大会で優勝するのも全て環境や教える側の動機付け等で決まる事と考えております。それは勉学においては小学生時代から、スポーツにおいては中学1年生の時点で自分と周りに起きた結果から確信するに至りました。
こうした考えは間違っているかも知れませんが、今もって変わる事がありませんのでどのような経験からそのように思うのか、今回は勉学に絞って述べたいと思います。
ほめれば育つ 成長は出会った恩師達や環境に大きく依存する
私の世代は第2次ベビーブーム前であり、急増する子供達を受け入れる学校の整備が間に合わず1クラス約50名程度のクラスが複数ありました。そこで通った(当時)鹿児島県姶良町立重富小学校は全校生徒1000人ほどで隣の学校は1500人という具合です。そんな小学校でしたので、先生方がいない自習時間は大変賑やかであり、男子はプロレスや鬼ごっこ女子は雑談に興じるのが恒例となっておりました。
そんな環境下、小学2年生の時に最高の先生に出会います。先生は人格者で授業も楽しく、全生徒が尊敬し信頼しておりました。人心掌握に長けて、全校生徒1000人いる中で私たち50人の教室だけが常に規律正しく行動し、自習時間も私達の教室だけ静かな光景が当たり前で全クラスの模範でした。私の小学時代、ほとんどの親が先生に対して「言う事を聞かない時は思い切り叩いてください」という時代でしたが、その先生は言葉だけで小学2年生の私たちを心服させておりました。これが名門私立や国立大付属小であったら話は別ですが、学校全体が騒いでいる中で低学年の1クラスだけがお利口さんとなるのですから良い意味で特別だったと思います。
自習の前に先生から「皆さんはお利口さんだから先生がいなくても静かに勉強してくれて助かるよ、ありがとう。先生は会議に行くけどあとは任せたよ。」とニコッと笑顔で職員会議へ出て行かれるのですが、持ち上げられた私たちは先生の期待に応えるため、急にお利口さんとなり静かに自習していました。学校中が騒がしい中、私たちの教室だけ静かですので職員会議から帰ってきた先生から「この教室だけ静かだった。さすがだね」等々おだてられ、次回もお利口さんに自習するといった具合です。当時の先輩に聞く限り、その先生が担任になったクラスはいつもそうした感じであったと聞かされました。先生とは1年限りでお別れでしたが、3年生に進級し他の担任になってからの私たちは、他クラス同様に自習では好き勝手に趣味に興じることになり、この小学2年生時代を除いては残念ながら全ての学年でお利口さんとなる事はなく、そうした経験もあって環境によっては私のような落ちこぼれでも何とかなる可能性がある事は小学生の時点でハッキリ自覚できており、指揮する者の重要性についてもある程度理解できていたと思います。
時は流れ私も中学3年生、勉強はこりごりでしたので就職するつもりでしたが考えが変わり夏休み前に高校へ進学する事を決めます。このとき社会科だけはまともでしたが、それ以外は良くて中程度で概ね中より下のレベルであり、極めつけの英語に至っては中学1年1学期の教科書からスタートとなりました。ここで唯一の取り柄であった体力で連日頑張った結果、高校受験直前時点において進学高へ行く同級生より先の予習をするまで成長しておりました。その時は、テストで点数を取るテクニックなどありませんでしたが、教科書に記載が無い英単語でも前後の脈絡から推測しながら正解を得るまで応用できていました。しかし、私は進学高には行かなかった為に猛烈な勉学は8ヶ月弱で終わりを告げる事になります。ここで感じた事を今もハッキリ記憶していますが、「私でも進学高へいく事は可能で、もしそうなれば勉強を当然するであろうことから名門大学に合格できるだろう」と感じた事は、実際には勘違いだったかも知れませんが大きな自信となりました。前述した100点を取らせた哲学の先生や小学2年生の私達をお利口さんにしてくれた先生にしても、私達の可能性を信じて成長させてくださったに違いありません。結局、どのように成長するかについては出会った恩師達や環境に大きく依存しており、人を動かす動機等を正しく理解させてくださった大人達のお陰でそれなりの行動へ繋がって今がありますのでそうした出会いに感謝しております。
ここで反省ですが、哲学の先生は国家観を熱く講義して下さり先生の熱意や講義内容に共感し、とても集中して受講したのですが、何故、テストで先生の最も伝えたかったソクラテスを選択し国家観の記載に挑戦出来なかったのか、今でも強い後悔の念があります。先生の熱い思いに応えられなかった、それが30年経過した今も悔やまれますが、そうした過去の失敗が私の糧となり今の仕事にも生かされているように思います。
環境が整えば誰でも国内最高のコンクリートを構築できる
そんな経験もあって、現在、例え絶望的な品質のコンクリートを目の前にしたとしても、コンクリートの品質改善については、どなたに対しても楽観的に次のようにお伝えします。「環境が整えば誰でも国内最高のコンクリートを構築します。大切なのは正しい動機であり、結果に対する正しい評価や構築したコンクリートの未来像などを教えてあげること。あとは個人の良心等が決めるはずですので安心して任せてください。」といった事を話しております。現場ではコンクリートに関する基本的な考えを説明し、まずは作業員に締固め等をしてもらい、悪い所は助言や手本を見せて是正、そこで不具合が生じた場合その都度指摘(写真-1)(写真-2)して対策について助言するようにします。
(写真-1)残留気泡の指摘
(写真-2)沈みひび割れの指摘
ここで、注意いただきたい事として、【指導】と【指摘・要望】は似た意味合いかも知れませんが私は次のように分けて考えております。正しいか分りませんが、個人的に思っている【指摘・要望】とは、例えば、「汚いから綺麗にして下さい」、「有害なひび割れを無害にして下さい」、「ジャンカを無くして下さい」、「残留気泡を少なくして下さい」等の現象や不具合をどうして欲しいかを伝える行為を【指摘・要望】と認識しております。
次に【指導】とは、どのような理由で不具合が生じているか経験等を交えて話し、その現象が悪い理由、どのようにすれば不具合が根絶できるかについて監督者を含めた全プレイヤーに周知し、場合によっては手本(写真-3)を示す等で正しい結果まで導くことだと思います。
(写真-3)締固めの手本を見せている状況
ただし、手本を示さずとも成功に導けばそれは【指導】であろうと思いますし、挑戦させる事ができたとしたら、例え結果が悪くても【指導】だと思います。何故なら、挑戦するには勇気が必要でその為にはそれに繋がる何かを考えなければならず、行動に至るには様々な障壁を乗り越えていくでしょうし、そこで挑戦すれば何かしら成果を得ると思うからです。とにかく挑戦する事が大切で、口先だけにとどまればどれだけ素晴らしい事を言っても結果は期待でませんので人を前向きに動かせればそれは【指導】だと思いますし、そうした行動が大切だろうと思います。