道路橋床版の高耐久化を求めて~床版の革命的変化を追求した半世紀~

道路橋床版の高耐久化を求めて~床版の革命的変化を追求した半世紀~
2024.10.16

⑤輪荷重走行試験機1号機が阪大で誕生・・・・・動的実験実験前の前哨戦!

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道路橋床版の高耐久化を求めて~床版の革命的変化を追求した半世紀~
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(イ)天の助け

 1982年の4月頃、関西電力の土木のトップである支配人様(故人)から同社所有の橋梁床版の維持管理で大阪大学から有意義な指導を受けてきたとのことで、前田教授と松井がその橋梁の視察も含めて招待された。現地に到着し夕食まで時間があるので、私はその床版の状況を見たいとお願いしたところ、その支配人様が私も同行したいと言われ、歩きにくい足場を歩き、いつもの計測場所に辿り着いた。

 床版下面には目立ったひびわれもなく、安全な状態であると説明したが、その支配人は、「この床版の維持管理を今後とも続ける必要がありますか?」と尋ねられた。若干驚きつつも、私は深い考えもなく、「そうですね、……私が考えている床版の上を往復運動(往復走行するとは言わなかった)する試験機によって疲労試験データが得られれば、その結果から寿命計算ができるので、計測管理は省略できると思います」と言ったところ、その支配人は躊躇なく「それ造りましょう」と言われた。

 頭が真白になった私に、支配人様は続いて「その試験機は幾ら位でできますか?」と尋ねられた。私の頭の中には試験機の図面も無かったが、咄嗟に前田先生に相談した試験機のスケッチを思い出し、当時の私の給料の500倍の1千5、6百万円程度と思いますと口が滑った。支配人は「その程度なら私の方で用意しましょう」と言われた。

 これは大変だ! と驚き、帰りの足場道をどのように歩いたのか全く記憶が残っておらず、夕食の御馳走も何を口にしたのかも覚えていない。翌日、大学に行き、沢山の試験機屋に大学に来てもらう電話をし、1,2週間の間に全部の試験機屋さんに説明し、製作を打診したが全て断られた。「そのように輪荷重が動く機械ものは経験もなく、我々の範疇にはありません」とのことであった。全くお手上げ状態になり、関電の支配人に試験機の造れる所はありませんと正直に言って話は無かったことにして下さいと言いに行こうかと悩んだ。

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(ロ)第二の天の助け

 その数日後、久しぶりに大学に来られた神戸製鋼所の橋梁関係の部長に事の経緯を話し、大変困っていると話したところ、栗本鐵工所が最近30cm動く機械を造られたとの情報を頂いた。その部長さんが帰られた後、早速栗本鉄工所の橋梁部長(阪大の先輩)に電話した。その部長は、「その機械は鉄板に穴をあけるパンチ機であり、先生の考えておられる横方向に往復運動するものと全く違いますよ。しかし、わが社の機械部門の部長は阪大の機械科を出ているから、一度来られて相談されてはいかがですか」と言われ、その部長に会える日時を電話します、ということになった。2時間位経った頃、電話が鳴り、その週の金曜に訪問することとなった。2日後になったので、以前前田先生に相談した時の試験機のスケッチとローゼンハウゼン試験機がぶら下がっていたフレームの図面を探し出し、準備をした。

 当日、午前10時半に栗本鐵工所の堺工場に行き、機械部長にお会いし、悩んでいる試験機の話をし出した。スケッチと試験機を据え付けるフレーム図を見せ、「この横移動の速さを。100万回(50万往復)を20日位で達成できるものにしたいと考えております。油圧シリンダーではこの速さは到底出来ないと思いますが、・・・・・等々」、一方的に喋りました。その部長はほとんどおしゃべりなさらず、最後に「面白い機械ですね!しばらく考えさせて下さい」と言われたので、よろしくお願いしますと言って、その日は失礼した。

 それから2か月半が過ぎたが、機械部長から電話も無い。待ちきれず電話を掛けたところ、「やっと組立て出来るようになにましたので、担当の課長と電気屋さんを大学に行かせたい。試験場の分電盤の位置と機械の設置場所までの200volt,60kWの3相の配線工事をしたいので!」と言う話が返ってきたのである。私の頭は錯乱し、いつ栗本鐵工所から造らせてもらう返事を頂いたのか? 試験機の図面と設計計算書も頂いていないのに、もう組み上るとは! どうなっているのか? と頭が狂った。

 そこで、3か月前に栗本鉄工所で30cm動く機械の話をいただいた神鋼の部長にこの経緯を話した所、「それが機械屋さんのやり方ですよ。「彼らは客先の要望を聞き、試作をして、それを客先で組み立てて、機械の試運転を行い、お客が満足すればその試作品が納品物になるのです。」もし、客が不服の場合には、その不服点を言うと、業者は手直しをしますので、「先生もすぐ喜ばず、OKしないのが良いと思います」と教えてくれた。この部長はドイツでの構造会議にもご一緒したが.故人となられたのでお名前は伏せる。

(4)輪荷重走行試験機の完成!

 かくして輪荷重走行試験機が完成し、図5.2(写真5.2)のようにフレームに取り付いたので、試運転のスイッチを入れた瞬間、フレームが激しく共振し、このような試験機で実験できるのかと不安と言うよりも恐怖を覚えた。試運転に来た栗本の技術者らも同じ考えのようで、彼らはこの機械は29rpmで造りましたが若干速度と落としたら良いと思いますと言われた。そこで思い出したのがあの部長の言葉だった。


図5.2(左) 納入された輪荷重走行試験機と載荷フレーム /
写真5.2(右) 荷重の走行中の床版たわみによる荷重変動を制御するため、ジャッキに直結した高圧タンク(赤色のもの)が設けられ、荷重変動は5%以内に留まった)。


 私は黙っていたところ、栗本の技術者から「後ろの大きなフライホイールとそれを回すモーターとを結ぶ大きなチェーンとギヤを作り直したい。費用は当然当社持ちですが、特急でやりますので2週間の猶予が欲しい」と提案してきた。やっと、あの部長が教えてくれた機械屋さんのやり方が納得できたのである。2週間後に再試運転をしたが、試験機も移動による音は大きいが、共振らしい振動も無くなったので、お礼を言って納品してもらった。

(5)試験機完成はしたが、床版実験するまでもう一苦労

 それから3週間かけてRC床版を乗せる支持桁の設置を終え、注文していた床版が納品されたので、これを支持桁に載せ、大学関係者と栗本の下請け業者だけで試験機の動きを診る試運転を行った。

 再度、このままでは実験できないと分かった。

 理由は、①床版上面からのコンクリート粉が激しく飛び、試験場が白くなったこと、②機械の走行音が高すぎ、試験場の管理者らが心配顔で飛び出てきたこと、③RC床版が5分足らずで、前後左右に10㎝以上もずれたことが分かったのである。

 私が造った、本邦最初の試験機であるので、誰とも相談出来ないと覚悟を決めて、じっくりと対処方法を考えた。1週間後に材木店に行き6mm厚で長さ2.4mのベニヤ板を見付け、それを20枚注文、次に栗本鉄工所の下請け業者の鈴木製作所に図5.3に示した軌道装置の製作と納品を、2週間を目途に用意して欲しいと依頼した。


図5.3 床版上の軌道装置の全容と鋼板と鉄板の横移動防止小片付きチャンネルの状況写真


 

 この軌道装置は、円筒状の鉄輪のままでは床版には線荷重となり、床版表面が磨耗してしまうし、実橋床版はゴムタイヤでその接地面は矩形になっているので、これを模した示方書に規定している矩形の載荷面とするが、試験機の最大荷重を25トンにしたので、辺々を60%に縮小した30㎝×12㎝の大きさで、50㎜厚の鋼板を、5㎜の隙間をあけて走行範囲の2m上に並べることにした(写真5.2)。


写真5.2 実験前の支持桁の組立とRC床版も載り、載荷待ち状態


 さらに各鋼板が独立に前後左右に動かない工夫として、各鋼材ブロックの側面にボルトを付け、それらのボルトに櫛状の鋼板を挟み、その上に車輪が静かで平滑に走行できるように12㎜の鋼板を置くことにした。鋼板下の鋼材ブロックが左右に動かない用にするために最上の鋼板への溶接を避けて、鋼板と鋼材ブロックの間にブロックより若干幅の広いチャンネルを被せるが、それらのチャンネルの左右端にブロックの動きを止める工夫を施した。

 以上、述べたこと総てを装備した。これらの軌道装置は大きな集中活荷重を受けて疲労破壊するので必要個数の50%増しで用意して貰った。ベニヤ板と上側鋼板は輪荷重の走行回数5万回~10万回で交換する消耗品と考え、実験前余裕を見て用意しなければならない。

 軌道装置を載せた1号機の試験装置を搭載した全景を図5.2に示したが、1982年12月に完成した。明けてから本機の特徴を調べる基本データの収集を行った。1983年4月に卒論生6人が当研究室に配属が決まり、その中の一人である池田達也君にRC床版の疲労研究を担当してもらうこととなった。この実験は一人ではできないと予想していたので、当初から7人分の作業服関係を用意した。これらの実験の状況・成果は次回の話題6で詳述する。

 輪荷重走行試験を特殊試験で行っていることが学内でも知られることとなり、写真5.3に示しように阪大学報(2000年No,20)に掲載された。学内外に広く知れ渡ったかは不明である。また、学外から1993年の10月頃、土木学会主宰のNHKテクノパワーの一環として【土木の世紀―「知られざる社会資本の建設技術」】のVHS取材版がきて、1週間滞在されて水張リ実験中の床版の劣化進行が撮影され、収録されたことも私の重大事の一つであり、ここに留めておきたい。


写真5.3 大阪大学学報の表紙を飾ったゴンゴロ号


 いよいよ実験が始ったが、その詳細は次回にまわします。

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