橋梁四方山話
1.コンクリート斜張橋の黎明期
筆者が橋梁技術者を目指しこの世界に入ったのは1980年である。そしてこの時期はちょうど日本の本格的なコンクリート斜張橋の黎明期と重なる。その前の1970年代は、フランスのブロトンヌ橋やドイツの第二マイン橋に代表されるように、世界はマルチケーブルによる新しいコンクリート斜張橋の幕開けの10年間であった。一方日本では、歩道橋の斜張橋が造られていた時期である。
この黎明期は各社が熾烈な技術競争を繰り広げていた。鹿島建設の石原重孝氏、大成建設の今井義明氏、そして筆者が入社した住友建設(現在の三井住友建設)の熊谷伸一郎氏。彼らがそれぞれの技術を競っていた中で、日本道路公団(JH)初のコンクリート斜張橋である錦岡三号橋(図―1)が発注され住友建設が受注した。跨道橋ではあるが非対称断面の一面吊で、本格的なフレシネー工法の斜材を使用している。そしてこの現場には熊谷さんが赴き1982年に完成した。筆者は設計の最後の段階で設計概要書の作成を任され、手書きの分厚い設計計算書を最初から読みながら概要書にまとめた。これは設計の流れを知るうえで非常に良い経験になった。
図-1 日本道路公団(JH)初のコンクリート斜張橋である錦岡三号橋
コンクリート斜張橋の大きな設計上のポイントは、クリープと乾燥収縮による斜材張力の変化である。鋼斜張橋と違い、コンクリート斜張橋を支保工上で施工してもクリープや乾燥収縮の影響で斜材張力が変化することが知られていた。通常の桁橋は、支保工上で施工すると反力(コンクリート部材の応力)の変化はない。張出し施工の場合は、施工完了後の応力は支保工施工状態に向かって変化するので計算が容易である。(これをSystem Kriechenという)しかし、弾性支承上の梁である斜張橋はその向かう先が分からないので、斜材張力の決定には何度も試行錯誤を繰り返さなければならないという難しさがあった。斜張橋は剛性の低い桁に発生する何十万tmという曲げモーメントを斜材張力で打ち消しているので、斜材張力が少し変化しただけでこのバランスが大きく変わり、許容値に収まらなくなる。当時はこの作業を何度も繰り替えさなければならず、ベテランでも斜材張力決定までに数週間を要した。そして、この難題を解決する画期的な手法が開発されるのである。
2.長大斜張橋を目指した過渡期
1985年に「斜張橋ケーブルの最適プレストレス量決定に関する研究」と題した論文が発表された1)。京都大学、山口大学、三菱重工の共同研究の成果である。鋼桁の歪エネルギーを最小化する最適化問題を解くことで自動的に斜材張力を求めようとするものであった。これに目を付けたのが住友建設(当時)の新井英雄氏である。彼は歪エネルギー最小がカスティリアーノの第二定理であり、これをコンクリート斜張橋に適用してクリープ変化のない斜材張力を求めようと考えたのである。これでやっとコンクリート斜張橋の「支保工施工状態」を見つける目途がついた。クリープと乾燥収縮を取り入れた「プレストレストコンクリート斜張橋の最適斜材張力決定法に関する研究」と題した論文が、1986年に土木学会論文集に掲載された2)。
同時に最適化のソフト開発が始まった。筆者はここからこのプロジェクトに参画した。ソフトのコア部分は非線形最適化問題である。昼間にFORTRANによりプログラムミングしたソースコードを、会社のNECのACOSが空いた夜にコンパイルして流し、翌朝に結果を得るという日々を繰り返した。斜材張力だけでなく桁の補強PC鋼材量も同時に得られる仕様になっていた。途中で新井さんが京都府亀岡市の新丹波大橋の現場に赴任したため、その後は東京と京都の電話によるやり取りが続いた。コンクリートはビンガム流体と呼ばれる粘弾性体である。そして、クリープはコンクリート内部の歪エネルギーが最小になるように応力を変化させる。つまり応力の自己調節機能を有しているのである。斜材というクリープしない部材が組み合わされることで複雑な変化となり、長年多くの技術者たちを悩ませてきたが、その悩みに終止符を打つことができたのである。数週間かかった斜材張力決定プロセスが1日程度に短縮された。
この最適化を最初に実務に使ったのが1991年に完成したJHの東名足柄橋(図―2)である。図―3に基本設計と詳細設計のクリープ進行前後の主桁応力を示す。なお、詳細設計の応力が非対称なのは、縦断勾配を考慮しているためである。差は歴然としていて、歪エネルギー最小規準による最適化は、コンクリートのクリープによる変化を最小化する斜材張力がすぐに得られる。筆者はこのプロジェクトに、設計チームの一員として1987年から参画した。
図―2 東名足柄橋 / 図―3 斜材張力最適化のクリープによる変化量の比較
斜張橋は施工中に主桁のキャンバー量や斜材張力誤差を許容値内に収めるために、「精度管理」と呼ばれる設計ではその量が定められていない斜材張力を調整するプロセスがある。これは鋼斜張橋から来た考え方で、コンクリート橋にとっては新しい概念であった。つまり、施工途中に斜材張力を調整するのである。先に述べたようにコンクリート斜張橋の斜材張力はクリープによって変動する。では、施工中に斜材張力調整を行うとどうなるのか。許容値内に収めてもまた変動して、それを満足しなくなるのではないか。このような疑問から、精度管理に関しても最適化の必要に迫られた。
コンクリート斜張橋の施工時の斜材張力調整量の最適化は、調整とクリープ変動による仕事量を最小化する規準で行うという結論に達し、1995年に「Optimum Cable-Force Adjustments in Concrete Cable-Stayed Bridges」と題した研究が米国土木学会の論文集に掲載された3)。精度管理で導入された斜材張力の調整量は、クリープによって桁を変形させながら減少する方向に動く。また、桁のキャンバーは途中許容値を超えてもとにかく折れないように造れば、あとは斜材調整で修正できる。それまでは、コンクリートにとってクリープはある種厄介者であった。しかし、斜張橋の建設を通してクリープによる自己応力調整機能という素晴らしい一面を発見したのである。この最適化は京都府の新丹波大橋(図―4)で採用された。その後さらに施工管理の自動化を目指し、当時一世を風靡していた「ファジー理論」の導入を試みたが、これは完成には至らなかった。
図-4 京都府の新丹波大橋