横河ブリッジ 中村 譲社長インタビュー
横河ブリッジの新社長に就任された中村譲氏は、初の(旧)横河工事出身の社長である。長年工事畑を務めてきた中村氏の就任は、純粋な新設が減少し、4車線化や6車線化、大規模更新や架替えなどが増加する中では時宜を得た人事と思われる。新設も大阪湾岸道路西伸部の大型斜張橋や、第二関門橋などの大型吊り橋など、施工が難しい橋梁が多く、技術の継承がこれまで以上に問われる事態となっている。そのような状況下で、売上げ1,000億円を目指してどのように、会社の舵取りを行っていくのか、詳細を聞いた。(井手迫瑞樹)
矢作川橋では 2カ月で約4,000tの鋼桁を架設
大学ではコンクリートを研究
鋼橋の格好良さに目覚めた宇部興産大橋のFC船による大規模ブロック架設
――学生時代の研究内容とこの業界に入ったきっかけを教えてください。
中村社長 山口大学出身で、4年次はコンクリートの材料研究室に入りました。
現在退官されている浜田先生が関東学院大学から戻られて、しばらくコンクリート関係は研究されていなかったのですが、またコンクリートの研究をされるということで志望を出しました。卒論のテーマは各種セメント(普通ポルトランドセメント、早強ポルトランドセメント、高炉セメントB種)の養生による強度発現の相関関係です。当然、文献では分かっていますが、養生によってどれだけ差があるのかをテーマに4年の時には供試体を作っては潰してと実験を繰り返していました。それがとても楽しかったことを覚えています。結局就職したのはメタルの工事業者である横河工事だったのですが。
横河工事に就職したきっかけは、大学3年時に架設された、民間では日本一のトラス橋である宇部興産大橋に触れたことです。美祢の山から石灰を工場に持っていくのに専用道路が作られ、一級河川厚東川を渡河する箇所に約2〜3,000tのトラス橋の大ブロックを起重機船で一括架設したものです。山口大学の工学部は宇部市にあったので大ブロック架設を見学に行き、もらったパンフレットを見ると、当時の日本鋼管工事と横河工事の名前がありました。4年次に就職する際、現場を希望すると教授から「横河工事という会社に同級生がいる」という話を聞き、「規模は小さいがやることは大きい」会社だという認識から受けてみたいと思いました。そんな縁もあり入社しました。
入社後すぐに本四架橋の現場に配属 20年間工事部で活躍
矢作川橋では 2カ月で約4,000tの鋼桁を架設
――入社後の経歴、最初の現場などを教えてください。
中村 入社当時はまだ本四架橋の最盛期だったので、最初の現場は本四架橋児島坂出ルートの岩黒島橋という斜張橋で4年余り従事しました。所長は当社でも指折りの斜張橋の技術者である石倉善弘氏(香港・ストーンカッターズ橋などでも活躍)でした。途中、下津井瀬戸大橋のケーブル工事に応援で半年間従事しました。同橋のケーブル架設はエアスピニング工法が採用されていました。瀬戸大橋も開通し、その後は大阪工事部に配属され10現場に携わりました。約20年間工事部門に所属していましたが、店社に上り民間の技術営業を1年、官庁営業を4年半経験して、それから東京で工事部長を2年間務めた後、12年前に役員になり、会社が合併して今に至ります。
岩黒島橋の架設状況(横河ブリッジ提供、以下注釈なきは同)
ストーンカッター橋の架設
――心に残っている現場はありますか
中村 現場所長時代に担当した栄高架橋西と矢作川橋でしょうか。栄高架橋西は第二東名の豊明IC〜名古屋南IC間で国道23号との重複部区間に位置し、鋼製門型橋脚により国道23号を跨ぎ、その上に上部工が搭載される高架構造となっています。したがって、橋脚、橋桁の架設には国道23号の全面通行止めが伴い、工程は通行止め日程に左右されるためプレッシャーのかかる工事でした。また上部工には製作の合理化と耐久性の向上を目的とした大断面Uリブを使用した合理化鋼床版を有する箱桁を採用しています。合理化鋼床版は揖斐川および木曽川橋に続いての採用でした。
現場所長時代に担当した栄高架橋西
矢作川橋(豊田アローブリッジ、中日本高速道路所管、建設時はJH、上東泰氏などが工事長を務めた)は4径間連続複合斜張橋で主塔中央のP3橋脚上135mに鋼桁(4,000t)が採用され、架設は斜ベントを用いてP3橋脚からバランシング架設を行いました。一期目の渇水期で斜ベントを設置し、二期目に桟橋を構築して、2ヶ月間で一気に4,000tの鋼桁をトラベラークレーンで架けました。4月には桟橋を撤去して河川の原形復旧を終えなければならないため、こちらの工事も工期短縮に苦慮しました。お陰様で、この2現場を経験したことでマネジメントに自信を持つことができました。
矢作川橋の鋼桁架設
――2か月間で一気にですか、本橋は、愛知万博に間に合わせなければならず非常に厳しい工事でした。PC橋の施工サイクルも小規模橋に換算すれば一週間に1橋架設していた状況で、視察に来た外国人識者が、あきれていたことを思い出しますね(笑)
中村 本当にPCも鋼も大変な工事でした。やり遂げて心底ほっとしました。
社員育成や人的資源の確保が重要
マルチロールな人材が必要 特に保全はそれがマスト
――今まで横河ブリッジの社長は設計に強い方が多かった印象にあります。今回は工事に強い中村社長をトップに据える人事となった訳ですが、社長としてなしたいことは
中村 まず社員育成や人的資源の確保が重要と考えています。昨年の11月に企業価値の向上に向けて、社員全員のエンゲージメント調査を行いました。社会的貢献度や社会的な影響度の指標である「事業内容」と財務状態の健全度や業界への影響度の指標となる「会社基盤」の2つのファクターの期待度と満足度が高い結果となりました。社員の会社に対する「愛着」や「思い入れ」は当社の強みになっていると考えます。創業者の横河民輔が立ち上げた「社会公共への奉仕と健全経営」という理念が117年経過していても社員に受け継がれ定着していることに安心すると同時に現状維持ではなく、さらに事業環境を高めることに尽力し、社員のモチベーションを上げていくことができればと考えています。
現在、離職問題が社会で課題になっていますが、人的資源の確保、育成が大切な時代になると考えています。当社は橋梁を扱う業界の中では会社の規模が大きい方なので、工事は工事、設計は設計、製作は製作と専門的に分かれていました。ある程度仕事量が確保されている場合は良いかもしれませんが、年によっては確保できない場合、別の事業でカバーする必要があるため、マルチな人材が必要になってきます。今まではカリキュラム的にやっていたジョブローテーションをこれからは人材を有効に活用する方向へと積極的に転換していきたいと考えています。設計ができる人間も現場に行って勤められる。工場製作だけでなく、現場の経験もある。現場の人間もある程度設計の軸を(設計に対して)教えられる等、育成に力を入れていければと考えています。
特に保全は設計と現場が同時に進むので、設計が現場に実際に入って一緒に施工するという例もあります。他部署の中に入っても仕事を共有できるマルチな人材を育てていかないと、受注状況によっては右往左往することになりかねないと思います。
関門橋の補修
大阪湾岸西伸部のプロジェクトを若手にも参画させたい
――今後ビッグプロジェクトを控えていますが、人材確保に関して業界全体の課題だと思います。社員にどんな夢を与えていくのかということもお聞きしたいのですが。
中村 我々が入ったときに、瀬戸大橋を施工していて、明石が始まったので、新入社員の中には「明石をやりたい」といって入った人もいました。今の新入社員に聞くと、「大阪湾岸西伸部のプロジェクトをやりたいです」という方がいましたので、今回の西伸部は世界有数の斜張橋になりますし、技術の伝承も含めて、若手がこういった大プロジェクトに関与できるというのは、本当に良いタイミングであり、このような工事があって嬉しく思っています。
――ここ数年の売上、利益の推移について教えてください。
中村 2022年度は売上高840億円、営業利益90億円、23年度は同890億円、80億円で2023年の受注重量は32,000t。生産重量が39,000tです。
2024年度の業績目標は売上高、営業利益共に昨年度以上としています。トピックスとしては大阪湾岸西伸部の大型鋼斜張橋(10万t)の設計ECIを受注したいと考えています。