新春インタビュー① 佐々木葉 土木学会会長インタビュー
生き方を比較勘案し、計画として示すことができるのが「土木」
メリハリが効く働き方、休み方を追求すべき
重労働を担う方々を物心両面でリスペクトすることも重要
――先ほど仰ったとおり土木を志す女性が増えていますね。人口減の中では、ますますその割合は増えていくでしょう。半分は女性という状況まで行くかもしれません。そうなると会長がおっしゃったような「働き方」があるいはDXなどに逆流して、土木における働き方の実現に寄与するかもしれません
佐々木 時代はもはやそれを先取りしていると思います。男性層であっても「きつい」業務は、やりたがらない状況になっていますから。
ただ、いくらiコンストラクションで仕事をロボット化、省力化しても、土木はそれを100%にはできませんから、やはり最後に危険な場面や、しんどい作業は残ります。それを「残り物をやらされている」と厄介者扱いするのではなく。そうした作業を担う方々を物心両面でリスペクトすることも重要で、DX推進とのバランスを取っていかなくてはなりません。
井手迫さんがいらっしゃる前も、土木関連企業からのリクルーターさんが何人も来ていたのです。私はいま(所属する早稲田大学において)学科の就職担当なんです。皆さん「休みもあります!」「転勤もないです!」「給料もこれだけ払います!」。と、すごく待遇面を強調されるのですが、それで良いのかな? と思う時があります。
――どのような疑問を持っておいでですか?
佐々木 先ほどの多様性にかかわる話ですが、若い人でも、「がむしゃらに働いて早く仕事を覚えて優秀なエンジニアになりたい!」「勉強して、様々な独創性ある設計を行いたい!」という人もいます。
問題は休みたいときに休みますと言える雰囲気を作っていない、みんながやっているのにお前だけ休んでいいのか? という雰囲気を醸し出していた所に問題があったわけですが、それが現在は逆に振れていってしまっている。「働き方」も本来は個人ごとに多様性を認めても良いと思うのですが。全体として働かないのがトレンドだ、みたいになっているような気がします。
――そう思います。働き方は千差万別で、余暇に喜びを見出し、仕事はきちんとやるが、無理をしない人もいます。しかし、仕事にも喜びを見出し、向上心が旺盛な若手もいます。
どちらが良いとは一概には言えませんが、働きたい人とか勉強した人とか、そういう人たちが結局、技術的なアドバンテージが付いていくわけです。その「多様性」を身に付ける場として、勉強する場として、土木学会の各小委員会はすごく重要であると思います。比較的フラットですし
佐々木 そうですね、今は概ね自由に議論ができていると思います。私も学会誌編集委員会やD&I委員会で自分の専門と関係のない人の中で仕事をする経験がありました。自分の専門外の専門家との繋がりというのは視野を広げる意味で大変貴重です。
今ほど「世界認識」が必要な時代はない
生き方を比較勘案し、計画として示すことができるのが「土木」
――話は変わりますが、日本は地震や気候変動による災害が非常に多くなっています。11月中旬にも球磨川流域の道路や橋の復興事業を取材しましたが、道路はともかく、住居などの再整備は緒に就いたばかりの状態に見えました。また、10月初旬に能登半島に行きましたが、地震と水害の複合災害で厳しい状態でした。高速道路は復旧されていましたが、曲がりくねり、アップダウンもあり、「未だ復旧」状況でした。さらには、集落に入ると、輪島の朝市は、ようやく更地になった状況で、そのほかは手つかず、むしろ水害で厳しさが増していました。土木学会は、こうした状況で何をなすべきなのでしょうか。
佐々木 私は、今ほど「世界認識」が必要な時代はないと思っています。
洪水は人間の営みが引き起こした、いわゆる人新世の状況がもたらしたものかもしれませんが、基本的には自然現象で、戦争やテロなど人為的な破壊行為ではありません。
しかし、この気候変動による洪水による水害は、もはやどこでも起きる可能性があります。その中で私たちは取捨選択せねばなりません。そしてそれを手助けするのが、景観も含めた土木の専門性であると思います。
能登半島の地震や水害によって損傷した事例(左)千枚田、(右)輪島朝市
大きな被災を受けた、しかしそれでも愛着のある場所で「生きる」選択肢を取る人もいる
(井手迫瑞樹撮影)
様々な災害が起きうる日本、下の二枚の写真が示すように、直してもより厳しい災害により被災する可能性がある(井手迫瑞樹撮影)
それを考慮した橋が地域の交通を守る例もある。それが土木の「知」だ。(写真はイージーラーメン橋の塚田橋)(井手迫瑞樹撮影)
様々な土木の知がそこで生き、そこで終わりを迎えたい人々を助ける。
(写真は球磨川に架かる流失橋の架け替え状況)(井手迫瑞樹撮影)
――もう少し論を展開してください
佐々木 人は必ず死にます。これは絶対の摂理です。
だけど生き方、その最終の形としての死の受け入れ方は選べます。
そして、住む、働く、過ごす場所というのはとても重要です。
洪水が生じて、背負うべきリスクと、洪水が生じない時に得るベネフィットを比較勘案し、どのような地域のありかたとするか、つまり計画として示すことができる、これが土木の役割であり、素晴らしい人生の形の提示であると思います。
極端なわかりやすい例としていうなら、洪水が絶対やってこない安全を得るには、生活の場の全周を高い構造物で囲ってしまうことも一案です。しかし、それは観光産業や水辺の風景を死に至らしめます。絶対的な防御を構造物に丸投げしていいのか、日々の生業や暮らしを変質させていいのか? 私たちはどういう関係性のなかで生きて、そして死んでいくのか。本当によくよく考えること。
それが「世界認識」を持つということです。
どこで、どのように暮らしていくのか、稼いでいくのか。災害による復興計画はそれを真剣に考えなくてはいけない、ということです。もちろん、それにはコスト/ベネフィットも当然含まれてきます。
できれば最上流にガチな設計に相当するお金を付けてほしい
――球磨川の水害からの復興を最初に担った八代復興事務所初代所長の徳田浩一郎所長(現前田建設工業)や能登復興事務所の杉本敦所長も同じようなことを言っていました。地元との対話と、ただ安全なだけでなく、暮らしの視点が大事だと。徳田さんは地元八代の出身、杉本さんは石川県かほく市の出身で七尾市の幹部も務めた経験もあり、いずれも地元に詳しく愛情がある人です
佐々木 地元の被災した方々との対話は、いつも非常な苦労を伴うものだと理解しています。その際に、土木の役割は「たたき台やありえる選択肢を目に見える形で示す」ことです。単なるコストや線形を示すだけではありません。そこに立ち現れる風景を示すことです。生活の風景。イメージを示さねば判断もできません。
これはなにも、災害復興の時だけではないのですが。
歴史的トラスのリ・デザインが登録文化財に(りんどう橋)
――そう思います。DXがどんどん進む中で、新設詳細設計はもはやAIがやる時代が目前に来ています。ただし、住民との話し合いや、その他の問題などが複雑に絡む計画は、やはり人がやるしかありません。土木学会構造工学委員会橋梁予備設計の適正化に関する研究小委員会(久保田善明・富山大学教授)では、上流にこそ土木の知恵を出す領域が沢山あるとの考えを結実させた『橋の計画と形式選定の手引き』を発刊しました。国交省は整備局ごとに国総研資料(No.1162)「道路橋の設計における諸課題に関わる調査」を用いた橋梁予備設計に取り組んでいます。
佐々木 そうですか。上流はPIや環境アセスメントなど、やらなければならないことが多いです。複数案を示さねばならず、詳細設計までの間に明らかになることも多く、できれば最上流にガチな設計に相当するようなことができるためのお金を付けてほしいと思います。その方が良いモノができます。
視対象であり視点場となる橋(天竜峡大橋)
この間、日本技術士会の黒崎会長(日本工営取締役)と対談しましたが、「本当に日本ではエンジニアの地位が低い」と嘆かれていました。
――一方でネイ&パートナーズジャパンの渡邉竜一氏のような技術者もいらっしゃいます
佐々木 設計だけじゃなくて施工管理までやっておられますよね。自分の設計成果物に対して、施工まできちっと確認して責任取れるから提案できるデザインだと思います。
こうしたエンジニアが本当はもっともっと育たないといけないと思います。