令和7年道路橋示方書改定解説インタビュー
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抵抗側のパフォーマンスを普遍化 地震用という紐付けを解消
抵抗側のパフォーマンスを普遍化
地震用という紐付けを解消
――耐震設計編を見直したのはもう一つの理由があると聞いています
玉越 耐震設計編という括りを見直す方がよいと考えられた理由がもう一つあります。これまで大規模な地震の時には橋の部材が一部塑性化してもよいこととして、塑性ヒンジなどが規定されてきました。ひび割れが入って部材としては弾性範囲を超えているけれども安定して抵抗できている状態であればそれは考慮してもよいだろうということです。
そして、従来は、そのような弾性範囲を超えるような状態になれば、当然修復も必要になりますので滅多にない稀な状況の時にしか許されないということで、そのような塑性化した状態の部材の応答の評価に関する規定は耐震設計編の中に入れられていました。
しかし、橋の一部が塑性化しても安定的に抵抗できる状態を考慮してもよい、あるいは考慮した方が合理的と考えられる場面としては、洪水などの地震以外の滅多にこない稀な状況も考えられます。また、コンクリートにしてみたら、地震で壊されようとしているのか、洪水で壊されようとしているのか分かりません。災害の種類に関係なく鋼材やコンクリート部材に対して「ここまでであれば元に戻る」「ここまでならひび割れたり局部的に座屈したりしても期待する抵抗が発揮されるし修復も可能だ」といった抵抗側の制限値や照査式は用意することが可能です。それが地震の時にしか使えないものであるかのような書き方になっていた面があるわけです。
もちろん、橋脚の塑性化のように地震時だからという条件も含まれていて、他の状況に対しても同じような塑性化が許容されるわけではないといったこともあるかもしれません。しかし、考え方としては、部材の限定的な塑性化は本来、他の状況でもそれで必要な性能が達成されるなら考慮できるはずです。例えば、自動車や歩行者が載らない桁の側端部であれば状況によっては一部塑性化させていいかもしれないし、それで交通にも影響なく修復可能であればそういった上部構造の設計だってできるかもしれない。なんとなく塑性化イコール耐震設計ということで理解されているところがありますが、本来そうではないはずです。
どんな場面のどこにしか使えないといった形で使途を限定することなく、いろんなパフォーマンスが保証できる部材の選択肢がたくさんあれば、それは自由に使えますし合理的な橋が作れることにつながると思います。選択肢を「耐震用の品揃え」「台風用の品揃え」「洪水用の品揃え」というふうに事象別に紐付けることに拘る必要はないと思います。
――わかりやすい例えはありますか
玉越 店で売られているコップは、作った人がどういう使い方を想定したのかによらず、基本的には何に使ってもいいですよね。例えば、コーヒーカップとして売られていても、それに牛乳を入れようが植木鉢に使ってもいいわけです。性能として単に水漏れないとか、床に落としても割れないとか、100度くらいの温度には耐えるとか、外に出しても腐らないとか、それが使用目的の要求性能さえ満たしていれば自由に使えばよいのです。
以上のように、耐震設計編がなくなることについて心配される声もありましたが、議論を重ねた結果、発展的解消を図ったということだと考えています。
そして、その過程で明らかになったことは、地震以外の時にも自由に考慮することができるような部材の塑性化に関する知見がほとんど用意されていないことです。地震時の橋脚の直交2方向の作用に対する応答に対する規定、といったように状況も部材も特定して規定を作りこんできた一方で、例えば、ねじれながら塑性化するとか、直交2方向以外の向きの作用に対する応答、あるいは橋脚のような大断面でない柱をはじめ多様な部材形式の塑性化などについて基準化できるような知見がほとんどありません。
特定の事象のみを念頭に、特定の荷重の作用方向だけにしか対応できない照査基準が用意されてきましたが、自由に部材が選択できるようなラインナップは驚くほど用意できていません。これでは創意工夫を行おうにも基準に適合しているかどうか照査不能に陥ってしまって実際には設計できません。
だからもう耐震屋とか何とか屋とか言わずに、総力を結集して、多様な条件下で自由に抵抗させられる部材のパフォーマンスの制御方法のラインナップの充実をしていかなければなりません。高度に普遍化された性能規定型の技術基準とそれをフル活用できるためのあらゆる部材のパフォーマンスの照査式や制限値の両方が用意されていることが道路橋の技術水準そのものになります。今後、増加が見込まれる補修補強では新設以上にこのような自由な対処が行えることが重要になりますし、国際的にもこのような高度で柔軟性のあるインフラ技術を有していることが日本の技術力として優位性を発揮できるところになると思います。材料力学や構造工学の分野で照査基準のラインナップを増やすための研究の推進が国土強靭化のためにも国際競争力の維持・向上のためにも今求められているような気がしています。
限界状態1・2・3を明確に定義
橋の状態を3段階で評価
――橋の状態の評価についてはどのように規定されているのでしょうか
玉越 橋の限界状態として、橋としての荷重を支持する能力に関わる観点及び橋の構造安全性の観点から、橋の限界状態1から3を設定しています。

限界状態1というのは、橋としての荷重を支持する能力が損なわれていない限界の状態です。永続作用支配状況や変動作用支配状況に対して、この状態を所要の信頼性で実現することを求めています。
限界状態2は、部分的に荷重を支持する能力の低下が生じているが、橋としての荷重を支持する能力に及ぼす影響は限定的であり、荷重を支持する能力があらかじめ想定する範囲にある限界の状態です。偶発作用支配状況のうちL2地震以外に対して、この状態を所要の信頼性で実現することを求めています。
限界状態3は、これを超えると構造安全性が失われる限界の状態です。L2地震に対しては、この限界状態3を超えないことで所要の安全性を確保することを求めています。
このように、どういう状況の時にどういう状態になることを許容するのかっていうのを、要求性能の定義としてマトリクス的に整理しているわけです。
発注者とコンサルの関係を明確化
「患者と医者」の関係に
――ただ、個別のインハウスエンジニアがそれを確実かつ的確に判断できるのでしょうか
玉越 いや、それは認識として間違っています。これまでも道路法や道路構造令のみならず、防災計画はじめ行政がとりまとめるさまざまな計画なども反映して、どこにどのような機能の道路を作るのか、あるいは既存の道路にどのような役割を担わせるのかなどは決めてきているはずです。それは、その道路や各区間に対して、どのような災害等の状況に対してどのような状態となることを想定するのかを考えてのことであり、それがそこにどのような橋を作るのか、あるいは既にある橋に対する補修や補強をどうするのかといった措置の決定の背景にあるわけで、それは市町村を含むすべての自治体や道路管理者が判断して決めてきているのであり、それができていないとかしていないという見方はおかしいと思います。
すなわち、それぞれの道路橋にどういう状況のときにどんな使い方ができるものにしたいというのは管理者の方で決められており、そのとき採用可能な性能のメニューは国が定めた技術基準には用意されているので、これを適用して選択した要求性能を満足する設計をコンサルタントに発注して成果を受け取るという構図です。そのため道路管理者が要求性能を判断できないとか、判断しないということは公共事業の制度からもありえないことです。
こういう地震の時にこういうふうに通れるようにしてくれとか、こういう洪水に対してはこういう被災しないようにしてくれとか、こういう風が吹いてもケーブルが揺れないようにしてくれというのは、提案を受けるかどうかは別にして最終的にはすべて発注者が決めていることになるのです。

性能を満足するとみなせるための前提
だから、道路構造令の解釈基準である道路橋示方書には、要求性能がその選択肢も含めてすべて規定されており、考えなければならない設計状況を具体化したものとして荷重組合せや荷重係数も用意されていますし、抵抗側で見込める状態については計算応答に対する制限値や部分係数なども用意されています。
技術的に難しいのは、それらの規定を満足するように具体的にどのような構造計算や部材断面の決定などを行えばよいのかという実現の方法です。これが設計という行為であり、設計技術の高度化もあって行政が直営で実施するのは難しくなっていますので、建設コンサルタントなどの専門家に発注されます。ですので、発注者が技術基準に照らして要求する性能に対して、「ではこんな部品が基準で使えます」あるいは「このような構造の橋であれば合理的に性能が満足できます」といった形で、材料の選択から下部構造の配置、支承形式、上部構造の形式や部材配置までコンサルタントが実現手段の提案を行うという構図ですね。
――その提案をどう評価するのですか
玉越 仕様規定であれば仕様と一致していれば必要な性能はあるとみなせることになります。しかし性能規定型の技術基準ですので仕様や手段には自由度がありますので、要求性能が満たされていることについては設計の中で行われていなければなりません。よく基準の運用の場面では、「設計」と「照査」という言葉が区別なく使われていますが、これは、「基準に適合する設計を行う」ことは、イコール「基準を満足していることを照査する」ことだからです。
ですので、道路橋のように技術基準を適用してコンサルタントが設計を行うという行為は、すなわち発注者の要求に対して満足する答えを提案する行為であり、コンサルタントはそれを行う専門家です。性能規定ですので要求性能さえ満足できれば、材料や形式などの手段には様々な選択肢が考えられるためコンサルタントはそれぞれ工夫して提案をすることができます。それらの提案について発注者は、技術基準に規定される最低限満足しなければならない性能が確実に得られる設計になっているのかどうかを確認して自らの責任で選定をお行わなければなりませんが、「制限値に入っています」「この式を満足しています」という照査結果から必要な条件を全部クリアしていることが分かればその提案は採用可能な設計成果であると判断できるわけです。すなわち、発注者が判断できる形で設計成果を提示しなければそれは技術基準を満足するといえる提案とは認められないのです。
――インハウスとコンサルタントの関係はどう考えればいいのでしょうか
玉越 インフラの性能に責任を持つ管理者とコンサルタントのような技術の提供者との関係性について、最近どうも捉え方を間違っているか勘違いされている方もいるような気がしており、最近機会があれば発言させてもらっていることがあります。
道路橋の維持管理に関して、よく病気にかかった患者である橋を技術のあるコンサルタントなどの専門家が医者として診たり治療したりするという例えがなされてきました。
そのとき、持ち主である管理者には技術力がないので、病気にかかった橋を、どういう治療をするべきなのかの判断までコンサルタントや学識などの専門家に決めてもらえばよいのだといったことをよく聞くようになってきました。本当のところはわかりませんが、もし言葉通りだとすると、それはインフラというものの性格と位置づけからは、私は、致命的な勘違いだと思っています。
税金で賄われる公共財でありインフラである道路橋の場合、それは道路管理者という患者の手足であり、それが病気になっているわけですから、患者は橋ではなくそれに責任をもつ道路管理者だと考えるべきだと思います。
人間の場合、病気になれば医者を頼ることになりますが、患者に医療知識がないからといって患者の意向を無視して医者が勝手に手術するとか治療方針を押し付けることはあってはなりません。患者が無知だから言われたとおりにしとけばよいなどと言う医者は大問題です。医者は治療の前に患者に徹底的にわかるように説明する努力をしなければなりませんし、最後にどうするのかは患者が自らの意思で決めなければなりません。
もちろん患者の方も可能ならセカンドオピニオンをとるなどできるだけ賢い判断をする努力もしなければなりませんが、高度な医療知識がないからといって医者の言いなりに治療させられる必要はないですし、そんな無責任なことは許されません。何より自分のことには自分で決めるしかなく、何かあれば親族や友人など心配させたり迷惑をさせたりする人もいるはずです。
これを、インフラに当てはめると、公共から預かって管理責任をもる管理者は患者です。高度な橋梁技術や専門知識がなければならないということにはなりません。専門的な知見を有するコンサルタントや学有識にもいろいろと意見や提案をもらいつつも、最後は自分が公共への影響なども考えて管理者として精一杯の判断をすればよいのです。必要ならセカンドオピニオンを聴取してもよいはずです。インフラの場合も患者たる管理者がどんな判断をするのかインフラのユーザーや納税者が心配して見守っています。良識ある医者たる専門家の助言を受けながら賢い判断をする努力はしなければなりませんが、高度な工学的知見を備えていないと批判されるのは理不尽です。
「管理者に専門知識がないのなら、判断は専門家に任せてしまえ」というのは、「医療知識もないのに病気になるな」とか「患者は無知なので、俺が治療方針を決めてやる」みたいなことを言っているように聞こえます。
例えば、建設の場面を考えると、どんな小さな自治体でも道路橋示方書に適合した橋の建設を当たり前のように行っています。そのとき、「技術者がいないので橋はつくれません」などという話も聞きませんし、「技術者もいないのに橋なんか作るな」と自治体にいう人もあまりいないように思います。これは、戦後の右肩上がりのインフラ整備の過程で、設計基準から施工管理や監督検査の基準、さらには調達制度に至るまで、高度な専門性がなくとも、行政が最新の技術を適正に調達して使いこなせるような制度を作り上げてきており、さらに技術の進展に応じて見直しも続けてきているからです。
一方で、維持管理については、点検結果の評価や診断、それに対して措置方針の検討、補修補強の設計施工に至るまで、あらゆる場面に対して残念ながら万全の制度や基準類が整っているわけではありません。その結果として、「管理者自らが高度な専門的知見や技術力をもっていないと適切に維持管理できないのではないか」といったおかしな理解が広まってきているのかもしれません。それは「自治体に技術者がいない」ということが必要以上に強調されてしまったことで生まれた認識違いかもしれません。「自治体には作る技術は使いこなせる制度があるので問題はないが、管理の技術を使いこなす制度が整っていないため、このままでは自らが技術をもつか責任を放棄するしかないという課題に直面している」のだと捉えています。
もちろん最低限の技術者や技術力がないと、いくら支援されても適切な判断はできないかもしれませんが、橋を新しく建設することができている自治体に、維持管理ができる技術者がいないというのは冷静に考えると全くおかしな話です。整備と同様に技術を動員できる体制、制度を整えればよいだけなのではないかという気がします。設計や建設の場面では患者たる管理者と医者たる技術提供者の適正な関係が築けている専門家が管理に関しては自治体に対して技術者がいないのが問題だとか、管理を任せろと言い出すのは、患者に知識がないからだめだとか、医者に任せろと言っているようで何とも理不尽でおかしな話だと思います。
既設インフラの診断や補修補強は、それに比べると制約が少なく自由度の多い新規建設事業よりも遥かに難しく、より慎重に検討をして適材適所の技術力の投入と過不足のない治療費を適時に投じなければならないはずです。そのためにも、今一度、患者と医者の正しい関係について認識を共通化させて、着実に国土強靭化が進めていけるような維持管理のビジネスモデルのあるべき姿、目指すべき姿をみんなで考えていく必要があると思います。
道路橋示方書は時間をかけて性能規定型の基準としての完成度を高めてきましたが、これは補修補強の技術基準としての展開も視野にしてきたものです。性能規定というのは、まさにこの役割分担が明確になったということです。要求性能に責任を持つのは管理者です。ここにそんな橋でいいのかという責任を持つわけです。どんな機能を持っていて、どういう時にどんな姿になる橋でいいかというのは、行政が決めないといけません。補修や補強に対して技術基準に則って適正な技術と予算が投入されるように基準と制度の両方を進化させていく必要があると思っています。社会ニーズも変化し続けますし、残念ながらインフラの劣化も完全には防止できません。そういう意味では国土強靭化に終わりはなく既存インフラを丁寧に手入れし続け、道路ネットワークの価値を最大化しつづけなければなりません
いつか、新規建設もできないような会社でにはとても補修補強の設計や施工は任せられない。あるいは補修補強ができない会社は、比較的簡単な新設を担ってもらうという時代が来るかもしれませんよ。




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